ヨッツメのブログ

外国語についていろいろと、特に英語について書いていきます。

ウェールズのアルパカ テーク 2: その 4 :: benefit、beneficial の和訳、日本語にない外国語、カタカナの外国語について

前回の記事の続きになります。

【気になった語句など】

Alpacas in Wales --- level 3 - News in Levels

https://www.newsinlevels.com/products/alpacas-in-wales-level-3/


benefit、beneficial は訳しにくい


記事の中に benefit、beneficial が
含まれる文章がある。

... but it also has environmental benefits.


Their eating habits are becoming beneficial for the land ...


... they're looking for ways how these animals can benefit from each other.


benefit の意味で思い浮かんだのは
「利益」である。もうけとか、
ためになることである。


意味を利益としても解釈はできるので、
読むだけであればそんなに問題はない。


和訳をするときに、何となく違和感を
感じるので、英語の問題というよりも
日本語の問題といえる。


ロングマンのオンライン辞書で、
advantage、benefit、merit の意味を
比較しながら確認できる。

advantage | meaning of advantage in Longman Dictionary of Contemporary

English | LDOCE

https://www.ldoceonline.com/dictionary/advantage#advantage__8


THESAURUS --- Meaning 2: a good or useful feature that something has


advantage

a good feature that something has, which makes it better, more useful etc than other things


benefit

a feature of something that has a good effect on people's lives


merit

a good feature that something has, which you consider when you are deciding whether it is the best choice


これを見ると、
benefit は人々の暮らしに良い効果が
あるもの、と説明されている。


benefit の意味には人々の暮らしに焦点
があることは知らなかった。


ちなみに、
advantage は物事の優れた部分のことで、
そのおかげで他と比べてより秀でて
いたり、より役に立ったり、などなど
したりする。 (比較)
merit は物事の優れた部分のことで、
選択が最善であるかどうかを
決断するときにそのことについて
よく考えることがある。(判断材料)


この説明を踏まえて、違和感を
減らしたくなる。


environmental benefit の部分は、
「環境保護の観点から人々の暮らしに
良い効果があるもの」
あるいは
「環境保全上人々の暮らしに良い効果が
あるもの」から簡単に「環境保護に良い」
あるいは
「環境保全に良い」といった感じか。


are becoming beneficial for 〜
の部分は、「〜は人々の暮らしに良い
効果があるものに今なるところです」
から「〜は生活環境が良くなりつつある」
あるいは
「〜は自然環境が良くなりつつある」
といった感じか。


can benefit from each other の部分は、
人々の箇所が羊とアルパカなり、
「羊とアルパカの暮らしにお互いが
良い効果をもたらす可能性がある」から
「羊とアルパカは共存共栄できる」
といった感じか。


これで違和感はなくなったが、
無理をしている感じはある。


benefit は日本語にない言葉ではない
だろうか、と疑問を持ったりする。
というよりもそうであってほしい、
と思う。日本語に対応する言葉が
ないのであれば和訳しづらいのは
仕方がない。


benefit はどうか分からないが、
日本語にはない言葉が外国語にはある
ことは確かなことである。


日本語に相当する言葉がないために、
理解できないかというと、そうでもない。


ただ、日本語にはなりにくいだけで
あって、理解はできる。


実は、その代表的なものが身近な
ところにあふれている。


「カタカナ」の外国語である。


いろいろな理由から「カタカナ」で
使用されると思われるのだが、中には
日本語にしづらくて日本語にするのを
諦めてしまったものもあるのでは
ないだろうか。


その中にベネフィットを見かけたことが
あったような気がする。


もしかすると、その場合、あまりない
ことだと思うのだが日本語にすることを
諦めたということも、数は少ないが
あるのかもしれない。


ただ、毎日耳にしたり目にしたり、人に
よっては口にしたり、とかなり身近な

言葉である「カタカナ」の外国語は
便利なのだと思う。


和訳の際には、使わないほうがいいの
だろうが、意味するところが伝わるの
であれば問題はないようにも思う。
積極的に使いたいとは思わないが、
理解できるようにはしておきたい。


できるかぎり「カタカナ」の外国語の使
用を避けたいと思うのだが、何度も接し
ていると理解したように思い、うっかり
使ってしまったりする。使いたくもない
のにである。何か魔力のようなものが
あるのかもしれない。


「カタカナ」の外国語が本来の外国語の
意味と異なっている場合は、困ったこと
になる。読んでいるときや聞いていると
きは、意味が分からなくなるし、話して
いるときは、伝えたいことが伝わらない
ことになる。


「カタカナ」の外国語は便利である。


何だか魔力のようなものがあったりもす
る。


その裏には、いろいろなことが隠されて
いる。


考えだすと、悩むようなことばかり
思い浮かぶ。


一番いいのは知らないこと、考えない
ことなのかもしれない。


となると、このブログはよくないことに
なる。


なるべく余計なことはいわないことに
しようと思うことになった。

今回も大変であった。ただ、途中から書くのが楽しくなってきた。続けていると楽しくなることがあるのかもしれない。

逆もあるのだろう、いやあるはず。

あと一回続いて終わりとなります。

いつの間にか同じ記事の引用をしばらく続ける

ことにしてしまった。

そろそろ、他のスタイルのことを考えてみよう。できるものはあるのか。

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